花キクの歴史

History

明治18年(1885年)10月

上新川端町にて創業
初代 平井卯右衛門之介 (のち花屋創業時に改名して卯吉)
黒田藩士 850石 寛政年間に分家し 350石を継承
明治維新後、頭山満氏と共に平尾にて開墾をしていたが、玄洋社創立時、頭山氏の勧めにより、花店を創業する。
藩内で菊作りの名人と云われいた頃もあり、屋号を花キクとする。

明治29年(1896年) 5月

現在中洲本店所在地 東中洲に移転
平井キク(卯吉 長女)が加わり、家業として発展していく。

明治44年(1911年)

天神町店 開店 現在の天神交差点付近
当時、まだ天神町付近は整備されていない場所であった。

昭和22年(1947年)

新天町店 開店
新天町商店街設立時、博多商人の重鎮である下澤轍氏の勧めにより出店
平井ハナ(卯吉 三女)が切り盛りする

昭和33年(1958年) 6月

有限会社設立
平井英祐 代表取締役社長 就任

○花キューピットの開設に関わる
昭和27年(1952年) 東京・六本木の花屋の店主による電報を使った花束の配達の呼びかけに加わる。
この呼びかけにより、翌28年(1953年)4月 花キューピットの母体となる組織を全国11店舗の花屋でスタート。

○生花スタンド考案
筑豊炭鉱の多くの事業主が顧客となっていただいた為、高額商品の需要に答えるべく、今まで、竹製であった籠盛花の脚を鉄製にし、「生花スタンド」として開発する。
昭和32年(1957年)日本生花商協会の設立に奔走後、組織役員として約30年に渡り、全国各地を生花スタンドの指導で駆け巡る。
そして、全国に「スタンド花」として広まっていくことになる。
日本生花商協会副会長、九州生花商団体連合会会長、福岡県花商団体連合会会長など、数々の要識を歴任

昭和33年(1958年)10月 日本フラワーデザインスクール 開設

英祐の妻、喜代子により開設
平井喜代子

○日本で最初のフラワーデザインスクールを開設
単身、アメリカ シカゴのウイリアムキスラーフラワーデザインスクールに短期留学する。
プードルアレンジなど、様々な技術を学んだ末、帰国後、「日本フラワーデザインスクール」を開設する。
全国へ多くのフラワーデザイナー、フローリストを輩出する。
現在は平井の弟子である田中恵子により奈良屋店2階にて開講されている。

昭和61年(1986年)

奈良屋店 開店

平成3年(1991年) 10月

株式会社へ改組
平井昌宏 代表取締役社長 就任

○フラワーケーキ考案
クリスマスケーキをヒントに花を丸箱の中に入れるスタイル『フラワーケーキ』と名称をつけ考案。時代にとらわれない弊社の人気商品となっている。

平成3年 (1991年)

香椎浜店 開店

平成9年(1997年) 12月

奈良屋店 リニューアルオープン

平成10年(1998年)

渡辺通り店 開店

令和元年 (2019年)11月

中洲店 リニューアルオープン